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営業の引き継ぎの進め方|担当者の退職で取引先を失わないための顧客の棚卸し表・引き継ぐ順番・顧客情報の扱い【中小企業向け】

営業の引き継ぎは、顧客リストを渡せば終わりではありません。取引先との関係、商談の経緯、判断の理由が担当者の頭の中にあるからです。中小企業の営業担当者が辞めるときに、何を・どの順番で・どう渡すかを、顧客情報の扱いの決まりとあわせて整理しました。

約23分で読めます

この記事の要点

  • 営業の引き継ぎで渡すものは、顧客の基本情報、取引条件、商談の経緯と判断の理由、人間関係と注意点の4層に分かれます(私たちの整理です)。名簿で渡せるのは1層目だけで、取引先を失う原因になるのは3・4層目の抜けです。
  • 手順書やノウハウの共有は効きます。2026年版小規模企業白書では、社内ノウハウの蓄積・共有で有効だった取組は「マニュアルや手順書の整備」が39.1%で最多、効果は「担当者不在時でも業務が滞りなく遂行できるようになった」43.6%、「業務の引継ぎが円滑に行えるようになった」31.9%でした[6]。一方、退職予定者の技能・ノウハウを文書化・マニュアル化している事業所は22.0%にとどまります[7]。
  • 顧客情報は会社の資産であると同時に、個人情報と営業秘密を含みます。IPAの調査では、営業秘密の漏えいルートとして「中途退職者(役員・正規社員)による漏えい」を挙げた企業が17.8%ありました[2]。引き継ぎ書に顧客データをそのまま写さず、所在と扱いの決まりを渡す形にし、退職時はID・権限の削除と貸与品の返却を確認します[1][3][4]。
  • 退職の申し出から退職までは、期間の定めのない雇用では民法上2週間で足ります[8]。残り期間が短いときは「進行中の案件と約束」「上位の取引先への担当変更の連絡」を先にし、名簿の整備は後に回す順番をおすすめします(私たちの考えです)。

ガイドこのテーマの全体像は中小企業の業務引継ぎの進め方

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「営業の担当者が辞めることになったが、取引先の情報はその人の頭と個人のスマートフォンの中にしかない」「引き継ぎはしたはずなのに、後任が訪問したら『聞いていた話と違う』と言われた」。地方の中小企業では、営業を1〜2人で回している会社が多く、担当者の退職や異動がそのまま取引先との関係の断絶につながりがちです。

この記事では、中小企業で営業担当者が退職・異動するときの引き継ぎを、渡すものの4層、顧客の棚卸し表、残り期間別の順番、取引先への伝え方、顧客情報の扱い、権限の受け渡し、日ごろの備えの順に説明します。顧客情報の扱いについては、個人情報保護委員会のガイドライン、経済産業省の営業秘密管理指針、IPA(情報処理推進機構)のガイドラインと調査、厚生労働省のモデル就業規則を2026年10月12日に原本で確認し、該当箇所を示しています。法律の個別の判断(損害賠償や懲戒など)はこの記事では扱わず、弁護士などの専門家への相談を案内しています。私たちの考えやおすすめは、そうと分かるように書いています。

業務全般の引き継ぎの進め方は「中小企業の業務引継ぎの進め方」の記事に、引き継ぎ書の書き方は「引き継ぎ書の作り方」の記事にまとめています。この記事は「営業」という職種にしぼった内容で、経理・総務の記事と同じ型(棚卸し表・順番・権限の受け渡し)で書いています。

データで見る:営業の引き継ぎが難しい理由

退職そのものは、どの会社にも起きます。厚生労働省の令和7年「雇用動向調査」によると、1年間の離職率は13.7%でした[9]。従業員10人の会社なら、1年に1人以上が入れ替わる割合です。

引き継ぎを楽にする方法は、公的な調査でも示されています。2026年版小規模企業白書では、社内ノウハウを蓄積・共有するうえで有効だった取組は「マニュアルや手順書の整備」が39.1%で最も高く、得られた効果は「担当者不在時でも業務が滞りなく遂行できるようになった」43.6%、「業務の引継ぎが円滑に行えるようになった」31.9%でした[6]。ところが、厚生労働省の令和7年度「能力開発基本調査」では、退職予定者の伝承すべき技能・ノウハウを文書化・データベース化・マニュアル化している事業所は22.0%にとどまります[7]。

営業には、さらに2つの難しさがあります。1つは、渡すものの大半が「文書になっていない」ことです。取引先の担当者の性格、値引きの相場感、前回のクレームの経緯は、顧客リストには書かれていません。もう1つは、顧客情報が会社の資産であると同時に、個人情報と営業秘密を含むことです。IPAが2025年1月に行った「企業における営業秘密管理に関する実態調査2024」では、営業秘密の漏えいを認識している企業が挙げた漏えいルートのうち「中途退職者(役員・正規社員)による漏えい」は17.8%でした(2020年度の調査では36.3%で最多)。最も多かったのは「外部からのサイバー攻撃等」36.6%、次いで「現職従業員等のルール不徹底」32.6%です[2]。退職者による持ち出しだけでなく、ルールを知らないまま顧客情報を扱うことによる漏えいも多い、ということです。

この2つの難しさから、営業の引き継ぎは「頭の中のものを文書にする」ことと「顧客情報の扱いの決まりを守る」ことを同時に進める必要があります。以下では、その両方を扱います。

営業の引き継ぎで渡すもの:名簿ではなく4層で考える

引き継ぎで渡すものを、私たちは4つの層に分けて考えています(公的な分類ではなく、私たちの整理です)。

層内容ふつう、どこにあるか渡し方
1. 顧客の基本情報社名、所在地、窓口の担当者と役職、決裁者、取引の規模顧客リスト、名刺、販売管理ソフト会社の顧客リストを最新にする。引き継ぎ書には「どこにあるか」を書き、本体は写さない
2. 取引の条件単価・値引きの決まり、納期の約束、支払条件、契約の更新時期、見積の雛形見積書・契約書・請求データ、担当者の頭の中顧客ごとの「決まり事」を1〜3行で文書にする
3. 商談の経緯と判断の理由進行中の案件、過去の提案と結果、なぜその提案をしたか、断られた理由、未回答の宿題メール、担当者のメモ、頭の中案件ごとに「状況・次の行動・期限・理由」を書く。聞き取りで補う
4. 人間関係と注意点窓口の方の好み、連絡してよい時間帯、過去のクレームとその後、社内の誰が誰と面識があるか担当者の頭の中後任を連れて訪問・同席し、口頭で伝えたことをその日のうちにメモに残す

1層目は名簿で渡せます。2層目も、見積書と請求データを見れば後から再現できます。取引先を失う原因になるのは、3層目と4層目の抜けです。後任が「聞いていた話と違う」と言われるのは、前任者の判断の理由(なぜその単価にしたのか、なぜ今は提案を控えているのか)が渡っていないときです。

営業秘密管理指針も、従業員が職務として記憶した顧客情報のような「体得した情報」については、従業員の予見可能性を確保し職業選択の自由にも配慮する観点から、営業秘密のカテゴリーをリストにする、営業秘密を具体的に文書等に記載するといった形で、内容を紙その他の媒体に可視化することが原則として必要になるとしています[1]。頭の中の顧客情報を文書にすることは、引き継ぎのためだけでなく、会社がその情報を守るためにも必要な作業です。

顧客の棚卸し表:担当者が持っている取引先を1枚にする

最初にやることは、辞める(または異動する)担当者が持っている取引先を、1枚の表にすることです。顧客リストをそのまま使うのではなく、「いま、どういう状態か」を書き足します。私たちがおすすめする列は次のとおりです。

列書くこと例
取引先社名と窓口の部署(個人名は会社の顧客リストにある前提で、ここでは書かない)A社 購買部
重さ取引額や将来性でA・B・Cに分けるA(年間取引の上位5社)
直近の接点最後に会った・連絡した日と内容9月末に訪問。来期の見積依頼を受けた
進行中の案件と期限見積・提案・納品・更新のうち動いているものと、その期限見積提出 10月20日まで。契約更新 来年3月
約束・宿題こちらが約束して、まだ返していないことサンプルを送ると言った(未送付)
決まり事単価・納期・支払いで、この取引先だけの取り決め月末締め翌月末払い。急な追加は翌日納品で対応してきた
注意点クレームの経緯、連絡してよい時間、避けたい話題昨年の納期遅れでお叱りあり。午前の電話は避ける
担当変更の伝え方同行訪問/連名メール/電話の別と、誰が行うか前任と後任で訪問(10月15日まで)

表ができたら、「重さがA」「進行中の案件がある」「約束・宿題が残っている」「注意点がある」のどれかに当たる取引先に印を付けます。これが先に手を打つ取引先です。残り期間が短いときは、この印のある取引先だけに時間を使い、ほかの取引先はリストの最新化だけで後任に渡します(私たちの考えです)。

この表には、取引先の担当者の氏名・携帯番号・メールアドレスは書きません。それらは会社の顧客リストや名刺管理の仕組みの中にあるべきもので、引き継ぎ用の表に写すと、個人情報が入ったファイルがもう1つ増えるだけだからです。理由は「顧客情報の扱い」の章で説明します。

残り期間別:何を先にやるか

期間の定めのない雇用では、民法第627条第1項により、退職の申し入れから2週間を経過すると雇用は終了します[8]。会社が引き継ぎのために十分な期間を確保できるとは限りません。残り期間に応じて、やることの順番を決めておきます(私たちの考えです)。

残り期間先にやること後に回すこと退職後に残しておくこと
2週間①棚卸し表(印のある取引先だけ)②進行中の案件の状況・次の行動・期限 ③上位の取引先への担当変更の連絡(前任と後任の連名)④会社の顧客リストの最新化過去の提案の経緯の文書化、休眠先の整理担当者のメールを会社で読める状態、見積・請求データ、名刺
1か月2週間の①〜④に加えて ⑤A客への同行訪問 ⑥決まり事(単価・納期・支払い)の文書化 ⑦約束・宿題の消し込みB・C客の経緯の文書化同上に加え、顧客ごとの決まり事の文書
2か月以上1か月までの内容に加えて ⑧全取引先の経緯と判断の理由の文書化 ⑨後任の単独訪問に前任が同席して修正 ⑩後任が引き継ぎ書だけを見て1か月回し、抜けを埋める—引き継ぎ書一式、聞き取りの記録

どの期間でも、最初にやるのは「進行中の案件と約束」です。取引先が困るのは、見積が来ない、サンプルが届かない、問い合わせに返事がない、という「止まること」であり、過去の経緯が分からないことではありません。止まることを防いでから、経緯の文書化に時間を使います。

有給休暇の消化や退職の手続き全般、本人と連絡が取れないときの進め方は、「急な退職で引き継ぎができないときの対策」の記事で、条文と厚生労働省の資料をもとに整理しています。

取引先への担当変更の伝え方:順番と、伝える項目

担当変更の連絡は、取引先が「この会社との取引は続けて大丈夫か」を判断する場面です。私たちは次の順番をおすすめしています(私たちの考えです)。

  • 1. 社内で後任と時期を決める。後任が決まらない場合は、当面の窓口(社長や上長)を決める。取引先に「後任は未定です」とだけ伝えるのは避ける。
  • 2. 棚卸し表で「重さA」「進行中の案件あり」の取引先には、前任と後任がそろって訪問または打ち合わせをする。前任が経緯と感謝を、後任が今後の窓口と次の予定を伝える。
  • 3. それ以外の取引先には、前任と後任の連名で連絡する。メールの場合は、担当変更の日、後任の氏名と会社の連絡先、進行中の案件の扱い、次の予定を書く。
  • 4. 担当変更のあと1〜2週間以内に、後任から改めて連絡を入れる。ここで「前任から聞いている内容」を一言添えると、引き継ぎができていることが伝わる。
  • 5. 前任者の会社メールと会社携帯は、退職後も一定期間、後任または上長が受け取れる状態にしておき、取引先からの連絡が途切れないようにする。

避けたいのは、取引先への連絡先として前任者の個人の携帯番号や個人のメッセージアプリしか残っていない状態です。退職後にその連絡先に取引先から連絡が入ると、会社は内容を把握できず、前任者にも負担がかかります。担当変更の連絡では、必ず会社の連絡先(代表電話、会社のメールアドレス、後任の会社携帯)を伝えます。

顧客情報の扱い:引き継ぎ書に写さない、持ち出さない、退職時に返す

営業の引き継ぎで最も気を使うのが、顧客情報の扱いです。顧客情報は、取引先の担当者の氏名・連絡先という「個人情報」であり、会社にとっては「営業秘密」になりうる情報でもあります。公的な資料が求めていることを、引き継ぎの場面に当てはめて整理します。

個人情報保護委員会のガイドライン(通則編)は、個人情報取扱事業者は従業者に個人データを取り扱わせるに当たって、法第23条にもとづく安全管理措置を遵守させるよう、従業者に対し必要かつ適切な監督をしなければならないとし、監督を行っていない事例として「内部規程等に違反して個人データが入ったノート型パソコン又は外部記録媒体が繰り返し持ち出されていたにもかかわらず、その行為を放置した結果、当該パソコン又は当該記録媒体が紛失し、個人データが漏えいした場合」を挙げています。また、人的安全管理措置として、従業者に個人データの適正な取扱いを周知徹底し適切な教育を行うことを求め、手法の例として「個人データについての秘密保持に関する事項を就業規則等に盛り込む」ことを挙げています(中小規模事業者も同じ)[4]。顧客情報を個人のスマートフォンや私物のUSBメモリで持ち歩く習慣を会社が放置していると、漏えいが起きたときに会社側の監督が問われる、ということです。

経済産業省の営業秘密管理指針(令和7年3月改訂)は、不正競争防止法で保護される営業秘密の3要件(秘密として管理されている「秘密管理性」、事業活動に有用な技術上または営業上の情報である「有用性」、公然と知られていない「非公知性」)をすべて満たすことが必要だとしています[1]。顧客情報が営業秘密として守られるかどうかは、会社が「これは秘密として管理している」と従業員に分かる形で示しているかにかかっています。指針は、重要な情報であることが明らかな場合には、クラウドにアクセスするためのID・パスワードが設定されているといった程度の技術的な管理措置や、就業規則や誓約書で当該情報の漏えいを禁止しているといった規範的な管理措置で足りる場合もあるとし、不正利用・不正取得のリスクが顕在化している場合には、追加的に人事異動・退職ごとのパスワード変更などが考えられるとしています[1]。参考として挙げられた裁判例には、退職する直前に秘密保持の誓約書を提出させていたことなどの事情を考慮して顧客情報の秘密管理性を肯定したものもあります[1]。

厚生労働省のモデル就業規則(令和7年12月版)には、遵守事項として「在職中及び退職後においても、業務上知り得た会社、取引先等の機密を漏洩しないこと」、個人情報保護の条文として「労働者は、職場又は職種を異動あるいは退職するに際して、自らが管理していた会社及び取引先等に関するデータ・情報書類等を速やかに返却しなければならない」という規定があります[5]。自社の就業規則にこの種の規定があるかを、引き継ぎを始める前に確かめておくことをおすすめします。

退職時の手続きは、IPAの「組織における内部不正防止ガイドライン」が具体的です。雇用終了の際には、必要に応じて秘密保持義務を課す誓約書の提出を求めること、取り扱いを委託した情報資産のすべてを返却または完全消去させ、利用者IDや権限を削除することを求めています[3]。これを営業の引き継ぎに当てはめると、次の受け渡し表になります(表の中身は私たちの整理です)。

受け渡すもの退職日までにやること退職日以降にやること根拠・考え方
顧客リスト(表計算・販売管理ソフト・名刺管理)会社の仕組みの中で最新にする。個人の端末にある分は会社の仕組みに移し、元を消す前任者のアカウント・権限を削除するIPA:情報資産の返却・完全消去、利用者IDと権限の削除[3]
会社携帯・会社のメールアドレス取引先への担当変更の連絡で後任の会社連絡先を伝える端末を返却。メールは一定期間、後任または上長が受信できる状態にしてから停止モデル就業規則:退職時のデータ・情報書類等の返却[5]
個人のスマートフォンに入っている取引先の連絡先・メッセージ会社の顧客リストに必要な情報を移し、個人の端末からは削除することを本人と確認する—個人情報保護委員会:従業者の監督、持ち出しの放置が監督不十分の事例[4]
共有フォルダ・クラウドサービス・SNSの会社アカウント後任のIDを作り、権限を渡す。前任者だけが知っているパスワードは変更する前任者のIDを削除し、共有パスワードは変更する営業秘密管理指針:退職ごとのパスワード変更は追加的な対策の例[1]
見積の雛形・提案書・価格表会社の共有場所に置き、個人の端末やメールの下書きにしか無いものを移す—営業秘密管理指針:営業秘密を具体的に文書等に記載し、媒体で管理する[1]
秘密保持の誓約書就業規則の規定を確認し、必要に応じて提出を求める。対象の情報を具体的に示す—IPA:雇用終了の際の秘密保持義務を課す誓約書[3]

引き継ぎ書に顧客の個人情報を書かない理由も、ここにあります。引き継ぎ書に取引先の担当者の氏名・携帯番号・メールアドレスを写すと、会社の顧客リストとは別に、管理の対象から外れた個人データのコピーが生まれます。引き継ぎ書には「顧客リストのどこにあるか」「どの仕組みで見られるか」を書き、本体は会社の仕組みの中に1つだけ置くのが、個人情報保護委員会の安全管理措置と営業秘密管理指針の「媒体で管理する」考え方の両方に沿った形だと私たちは考えています。

なお、退職者が顧客情報を持ち出した場合の損害賠償や差止め、懲戒の可否、競業避止の約束の有効性は、個別の事情で判断が分かれます。この記事ではその判断は扱いません。心配がある場合は、弁護士などの専門家に早めに相談してください。会社ができる一番の備えは、日ごろから顧客情報を会社の仕組みの中で管理し、就業規則と誓約書で秘密として扱うことを明らかにしておくことです。

後任がいないとき:社長が引き取る前に3つに分ける

営業が1人しかいない会社では、辞める人の後任がいないことも多いです。その場合、社長が全部を引き取るのではなく、棚卸し表の取引先を3つに分けることをおすすめします(私たちの考えです)。

  • 社長または上長が自分で持つ取引先:重さがA、進行中の案件がある、注意点がある先。担当変更の連絡は社長名で行う。
  • ほかの部門(製造・事務)が窓口になる取引先:注文の受け付けや納期の連絡が中心で、提案の要素が少ない先。受注の手順を1枚にして渡す。
  • いったん連絡だけにする取引先:休眠に近い先。「担当変更と今後の連絡先」だけを連名で伝え、提案は後任が決まってから再開する。

こうして分けると、社長が持つ取引先は数社にしぼられ、残りは手順を渡せば回ります。2026年版小規模企業白書の「担当者不在時でも業務が滞りなく遂行できるようになった」43.6%[6]という効果は、こうした分け方と手順書のセットで生まれるものだと私たちは考えています。

退職後に記録から取引先の状況を復元する手がかり

本人と十分な引き継ぎができないまま退職したときは、会社に残っている記録から、取引先ごとの状況を復元します。営業の場合、手がかりは次のとおりです(私たちの整理です)。

記録分かること見方
会社のメール(送受信)進行中の案件、約束・宿題、直近の接点、取引先の担当者取引先ごとに最新の往復を読み、「返事待ち」になっているものを拾う
見積書・受注・請求データ取引の規模、単価と値引きの実績、納期の実績、契約更新の時期直近1年の見積と請求を取引先別に並べ、金額と頻度で重さを決める
共有カレンダー・訪問記録・交通費精算訪問の頻度、最後に会った日精算の明細から訪問先と日付を拾う
名刺・顧客リスト窓口の担当者と役職、決裁者会社の仕組みにある分だけを使い、個人の端末の分は返却・削除の対象にする
過去のクレーム・返品の記録注意点、避けたい話題品質や納期の記録から取引先別に抜き出す

復元した内容は、後任または社長が取引先に連絡するときに「記録でここまで把握しています。足りない点を教えてください」と正直に伝えて埋めるのが早いと私たちは考えています。退職者本人に確認したい事項があるときの連絡の仕方は、「急な退職で引き継ぎができないときの対策」の記事で扱っています。

営業の引き継ぎでつまずきやすい5つのパターン

つまずき起きること防ぎ方(私たちの考え)
顧客リストを渡して終わりにする判断の理由と注意点が渡らず、後任が「聞いていた話と違う」と言われる4層のうち3・4層目を、案件ごとの「状況・次の行動・期限・理由」と同行訪問で渡す
経緯の文書化から始める残り期間が尽き、進行中の案件や約束が止まる進行中の案件と約束→上位先への連絡→名簿の最新化→経緯の文書化、の順にする
引き継ぎ書に顧客の個人情報を写す管理の対象から外れた個人データのコピーが増える引き継ぎ書には所在と見方を書き、本体は会社の仕組みの中に1つだけ置く[4]
個人のスマートフォンの連絡先を放置する退職後に取引先からの連絡が会社に届かない。情報の持ち出しの形になる会社の仕組みに移して個人の端末から消すことを本人と確認し、取引先には会社の連絡先を伝える[3][4]
後任が決まらないので連絡を先送りにする取引先が不安になり、競合に声をかける当面の窓口を決めて、担当変更の連絡だけは期日までに行う

営業の引き継ぎチェック表

確かめることできていれば
棚卸し表担当者が持つ取引先を1枚にし、重さ・進行中の案件・約束・決まり事・注意点を書いた
先にやる取引先重さA・進行中・約束あり・注意点ありの取引先に印を付けた
進行中の案件案件ごとに状況・次の行動・期限・判断の理由を書いた
担当変更の連絡上位先は同行、それ以外は連名で、会社の連絡先を伝える日程を決めた
顧客リスト会社の仕組みの中で最新にし、個人の端末にある分を移して消すことを確認した
権限とパスワード後任のIDを作り、前任者のID削除と共有パスワードの変更の日を決めた[3]
貸与品会社携帯・パソコン・名刺・鍵の返却を確認した[3][5]
就業規則と誓約書機密の漏洩禁止と返却の規定を確認し、必要に応じて誓約書の提出を求めた[1][3][5]
退職後の連絡前任者の会社メールと会社携帯を一定期間、後任または上長が受け取れるようにした
確認日担当変更の1〜2週間後に、後任から全取引先に連絡を入れる日を決めた

まとめ:取引先を失わない引き継ぎは、日ごろの記録と顧客情報の管理から

営業の引き継ぎで渡すものは、顧客の基本情報、取引の条件、商談の経緯と判断の理由、人間関係と注意点の4層です。名簿で渡せるのは1層目だけで、取引先を失う原因は3・4層目の抜けにあります。残り期間が短いときは、進行中の案件と約束、上位の取引先への担当変更の連絡を先にします。

顧客情報は個人情報であり営業秘密でもあります。個人情報保護委員会のガイドラインは従業者の監督と就業規則への秘密保持の明記を求め[4]、営業秘密管理指針は秘密として管理していることを従業員に分かる形で示すこと、体得した顧客情報を文書に可視化することを求めています[1]。IPAのガイドラインは退職時の誓約書、情報資産の返却、IDと権限の削除を挙げています[3]。これらは退職のときだけの話ではなく、日ごろから顧客情報を会社の仕組みの中に置き、商談の記録を会社に残していれば、引き継ぎは「記録を整理する作業」になります。

私たちEnbitoは、業務の棚卸しから始める業務改善とAI活用の支援を行っている民間の会社です。縁SCANは、社員への聞き取りをもとに業務を見える化する道具で、営業担当者の頭の中にある取引先ごとの業務や判断を書き出すことにも使えます。営業の引き継ぎで取引先を失わないための順番として、この記事がお役に立てば幸いです。

よくある質問

Q.営業担当者が退職すると言ってから2週間しかありません。何から手をつければよいですか?
A.進行中の案件と約束から手をつけてください。取引先が困るのは、見積が来ない、サンプルが届かない、問い合わせに返事がない、という「止まること」です。棚卸し表で取引の重さと進行中の案件を書き出し、上位の取引先には前任と後任の連名で担当変更を伝え、会社の顧客リストを最新にする。この4つを2週間で行い、過去の経緯の文書化は後に回す順番をおすすめします(私たちの考えです)。期間の定めのない雇用では、民法第627条第1項により退職の申し入れから2週間を経過すると雇用は終了します[8]。
Q.引き継ぎ書に取引先の担当者の氏名や携帯番号を書いてもよいですか?
A.私たちは、引き継ぎ書には書かず、会社の顧客リストの「どこにあるか」を書くことをおすすめしています。取引先の担当者の氏名・連絡先は個人情報で、引き継ぎ書に写すと、会社の顧客リストとは別に管理の対象から外れたコピーが生まれるからです。個人情報保護委員会のガイドラインは、従業者に個人データを取り扱わせるに当たって安全管理措置を遵守させるよう監督することを求め、規程に違反した持ち出しを放置した結果の漏えいを監督不十分の事例として挙げています[4]。顧客情報の本体は会社の仕組みの中に1つだけ置き、権限で見られる人を決めるのが安全です。
Q.退職する営業担当者が顧客を持っていってしまうのが心配です。会社は何ができますか?
A.この記事では個別の法律判断(損害賠償・差止め・懲戒の可否)は扱わず、心配がある場合は弁護士などの専門家への早めの相談をおすすめします。会社が日ごろからできることとして、公的な資料が示しているのは次の3点です。顧客情報を「秘密として管理している」と従業員に分かる形で示すこと(営業秘密管理指針は、ID・パスワードによるアクセス制限や、就業規則・誓約書での漏えい禁止といった措置で足りる場合もあるとしています)[1]、就業規則に機密の漏洩禁止と退職時の返却の規定を置くこと(厚生労働省のモデル就業規則に例があります)[5]、退職時に必要に応じて秘密保持の誓約書の提出を求め、情報資産の返却とIDや権限の削除を行うこと(IPAのガイドライン)[3]です。
Q.営業担当者が個人のスマートフォンで取引先と連絡を取っていました。どうすればよいですか?
A.退職日までに、取引先の連絡先と必要なやり取りの要点を会社の顧客リストや記録に移し、個人の端末からは削除することを本人と確認してください。そのうえで、取引先には担当変更の連絡の中で会社の連絡先(代表電話、会社のメールアドレス、後任の会社携帯)を伝えます。IPAのガイドラインは、雇用終了の際に情報資産のすべてを返却または完全消去させることを求めています[3]。今後は、取引先との連絡は会社のメールや会社携帯で行い、商談の記録を会社の共有場所に残す決まりにしておくと、次の引き継ぎが「記録を整理する作業」になります(私たちの考えです)。
Q.後任の営業担当者がいません。社長が全部引き取るしかないでしょうか?
A.全部を引き取る前に、取引先を3つに分けることをおすすめします(私たちの考えです)。取引の重さがA、進行中の案件がある、注意点がある先は社長または上長が持つ。注文の受け付けや納期連絡が中心の先は製造や事務の部門が窓口になり、受注の手順を1枚にして渡す。休眠に近い先は担当変更と今後の連絡先だけを伝え、提案は後任が決まってから再開する。2026年版小規模企業白書では、社内ノウハウの蓄積・共有の効果として「担当者不在時でも業務が滞りなく遂行できるようになった」が43.6%で最多でした[6]。手順書と分け方のセットで、社長が持つ先を数社にしぼれます。

参考・出典

  1. [1]経済産業省「営業秘密管理指針(最終改訂:令和7年3月31日。PDF)(営業秘密の3要件、秘密管理措置の程度と具体例、媒体が利用されない体得情報の可視化、参考裁判例)」
  2. [2]独立行政法人情報処理推進機構(IPA)「企業における営業秘密管理に関する実態調査2024 調査結果(概要版。2025年8月公開。PDF)「漏えいルート」」
  3. [3]独立行政法人情報処理推進機構(IPA)「組織における内部不正防止ガイドライン 第5版(2022年4月改訂。PDF)(5)情報システムにおける利用者のアクセス管理、(23)雇用終了の際の人事手続き、(24)雇用終了及び契約終了による情報資産等の返却」
  4. [4]個人情報保護委員会「個人情報の保護に関する法律についてのガイドライン(通則編)3-4-3 従業者の監督(法第24条関係)、10-4 人的安全管理措置」
  5. [5]厚生労働省「モデル就業規則(令和7年12月版。PDF)第11条(遵守事項)、第16条(個人情報保護)」
  6. [6]中小企業庁「2026年版 小規模企業白書(HTML版)第2部第1章第2節 小規模事業者の経営リテラシー向上(第2-1-49図・第2-1-50図)」
  7. [7]厚生労働省「令和7年度「能力開発基本調査」調査結果の概要(PDF。事業所調査「技能の継承について」図64)」
  8. [8]e-Gov法令検索(デジタル庁)「民法(明治29年法律第89号)第627条(期間の定めのない雇用の解約の申入れ)」
  9. [9]厚生労働省「令和7年雇用動向調査結果の概況(令和8年8月31日公表。PDF)」

制度・数値は2026.10.12時点で各公式情報を確認したものです。補助金・助成金などは公募回ごとに内容が変わるため、申請の前に必ず最新の公式情報をご確認ください。

Author

中胡 翔太郎株式会社Enbito 代表取締役

広島県出身。大手日系事業会社で生成AIを実際の業務に組み込み、大手外資系コンサルティングファームで企業の業務改革を支援。個人事業として30社以上の企業・事業者の立ち上げと成長に伴走。現在は株式会社Enbitoの代表として、地方の中小企業のAI活用支援・業務改善に取り組んでいます。

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